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さもみた!

I'm a thermometer.

本当に海外に行ってる場合か?2016の最後に

今年は、大部分を海外で過ごすことになった。

韓国での1年留学やその他旅行を含め、半分以上を海外で過ごした。2月後半から7月初旬まで韓国。そして7月下旬から8月中旬まで東南アジア。そして、8月下旬から12月末までまた韓国。

故郷を離れて生活するのはこれが初めてではないけれども、海を渡って生活することに対する認識は、行く前を帰ってきた後ではまるっきり違うものになった。

 

外国は日本に比べたら、そりゃ治安は良くないし危ないかもしれない。もちろん言葉の壁もある。食事が口に合うかもわからない。行ったばかりじゃ近くに頼れる人もいない。文化も違えば、普段の暮らしに違和感も覚えるだろう。同時にこれらのハードルを乗り越える過程でそれが日々を新鮮にもしてくれるし、新しい貴重な出会いを与えてくれる。

海外での生活は、自分次第で良いものにもできるし、実りのないものにもできる。それならば、今しかできないことなのだからやってみようと。

僕は行った先のことばかりで夢が膨らんでいたのだろう。

 

しかし、現実は違う。世界の時計は自分と離れているところでも進んでいた。ともに暮らしていた祖母と祖父ともに別れを告げなければならなくなった。(実際は今もそれが信じられないでいる)想像が困難であることではないはずなのに、自分がこのタイミングで海外にいるというのはなぜが思いもよらなかった。大切な人に何かがあったときにすぐに行くことができない。会いたい時に会えない。そんな当たり前のことを捨てながら生活を送るのが、故郷を離れて暮らすことなんだということを留学をして初めて知った。

幸いだったのは、2人とも別れの前にちゃんと会話をすることができたこと。

 

また、海外で友人もなくした。

SNSを通じて様子を確認していて、もうじき会えるのだろうと思っていた矢先のことだった。海外が危ないからと言って、まさか自分が危険な目に合うはずがないと高をくくって行動したことがないかと言えば、ないとは言えない。行ったきり帰ってこない。この悲しみを僕は海外に滞在する責任として、周りの人に与えてはならないと、彼は教えてくれたのだろう。

 

留学を決意する前あたりから、「海外で働けたら」とぼんやりと考えていたり、友人にぼそっとそのようなことを話していたことがあった。しかし、自己責任だからやったらいいという安易な考えは消え去った。そして、本当に自分が海外に出てまで仕事をしたいのか本気で考えなければならないと再認識させられた。

そう、僕は海外に行ってていいの?そんな場合か?

自分がやりたいことをやると同時に、捨てているものへ思いを一旦巡らせてみることは思ったよりも重要なことかもしれない。そして、そんな思いに逡巡している僕を後押ししてくれる人に感謝をしなければ・・・

 

2016年は、本当に特別な年になった。特別な年にするつもりだったし、その予想をはるかに超えて特別な年になった。何か書きたいと思いつつも、人に見せるものを書くとなるとその思いが削がれてしまうような日がほとんどだった。今日も本当はそう。来年は今年できなかったことをしっかりやりたい。このブログもそう。

 

「大切はものは目に見えない」

今日読んだ『星の王子さま』の引用で今年を締めくくりたい。

来年もきっと特別な年になる。大切なものをしっかり心で見極めるんだ。